山のあなた(カール・ブッセ)

索引

  1. 海潮音(上田敏)に掲載の「山のあなた」
  2. なぜ彼方ではなくあなたなのか

海潮音(上田敏)に掲載の「山のあなた」

中学生か高校生の時に読んだ上田敏の海潮音に収録されている、カールブッセの「山のあなた」という詩がとても心に残りました。

私が現在でもなお口ずさむことができる外国の詩と言えば、このカール・ブッセの「山のあなた」一つだけです。

唄ならカラオケで歌詞をみないで明日の朝まで歌い続けることができるだけの曲数が頭の中に入っている方は多いと思いますが、詩の場合はどうなのでしょうね。

上田敏の海潮音は、今では青空文庫で無料で参照することができます。この青空文庫からカール・ブッセの「山のあなた」を引用します。

山のあなたの空遠く
「幸(さいわい)」住むと人のいう。
ああ、われひとと尋(と)めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになお遠く
「幸(さいわい)」住むと人のいう。
カール・ブッセ「山のあなた」 青空文庫に掲載の上田敏「海潮音」から

大学4年生の時に、大学の研究室で当時指導を受けていた坂田助教授(当時。後に大阪大学教授)の独語による講義の際、坂田助教授がさらさらと独語で黒板にこの詩を書いたことから、特に印象に残っています。

坂田助教授が黒板に書いている途中でカールブッセの「山のあなた」だと気付いたので、助教授の黒板に書くスピードに合わせて日本語訳を口ずさんだところ、研究室中、すげーと沸きました。独語をほぼ同時通訳しているように外部からは見えたのでしょう。

ところが当時も今も独語の詩の内容は全く分かりません。独語でカールブッセの「山のあなた」をどのように表現するかも、当時も今も全然知りません。

事実はたまたまカールブッセの「山のあなた」の上田敏の日本語訳を覚えていただけです。

なぜ彼方ではなくあなたなのか

坂田助教授の書いた黒板を見ながら、なぜ「山の彼方」ではなく、上田敏は「山のあなた」と訳したのだろう、と不思議に思っていました。

これはティーンエイジャーの頃からの疑問で、この疑問がきっかけでずっとカールブッセの「山のあなた」が私の心の中に残っていました。

大学生の頃の私は、「山の彼方という表現では聞いたときの語感が鋭すぎるため、あえて山のあなたとの訳を当てることにより、より柔らかい語感に整えたのだろう」、と勝手に思っていました。当時はそれ以上追及することも深く考えることもありませんでした。

そしてそれから20年近くの時が経ったのち・・・・

電車に揺られながら窓から外の風景をみていた時、突然、かみなりに打たれたように閃きました。

「山のあなた」は「山の彼方」をよりマイルドに表現したものではない、と。

「山のあなた」に出てくる「あなた」は文字通り、「あなた」を指すことに気が付きました。ここでいう「あなた」とは、あなた、つまり、この詩を今、読んでいる読者自身のことを指すということに気が付きました。

「山のあなたの空遠く」との表現は、暗喩として、「未だ出会っていないずっと遠くにいる自分自身」のことを意味することになります。

「他の人が山の向こうに幸せがあると言ったので山の向こうに行ってみたが、そんな幸せなどなく、私は涙を流しながら帰ってきた。

そうすると人々は、山のもっとずっとずっと向こうに幸せはあるんだよ、というのです。」

というのは直訳ですが、ここにはもっと深い暗喩が隠されています。

山の向こうにある幸せとは、「未だ出会っていない将来の自分自身」のことです。
物理的な距離を移動するだけでは「未だ出会っていない将来の自分自身」には出会うことはできません。

今の自分自身を越えて、また別の成長した自分自身と出会うことができてはじめて、幸せを見つけることができる、と人々は言っているのです。

今まで生きてきて、一つの詩からこれほどの衝撃を受けたことは、このカール・ブッセの「山のあなた」を除いて他にありません。

ファーイースト国際特許事務所
所長弁理士 平野 泰弘

03-6667-0247

「山のあなた(カール・ブッセ)」への8件のフィードバック

  1. 私は「山のあなた」だけは、暗記しています。いつ、覚えたのか記憶がはっきりしません。中学生か高校生の時でしょうか?
     今日、散歩してましたら、この詩が頭をよぎりました。帰宅後、はじめて、検索しました。
    私は、長い間、幸せ探しの詩だと思ってきました。「まだ、見ぬもっと成長した自分」という解釈にはとても驚きました。

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  2. コメントありがとうございます。

    「山のあなた」の詩は、とても素敵な詩だと思います。だからこそ、時代を超えて多くの方々に親しまれているのだと思います。

    詩の解釈は、詩を親しむ人の数だけあってもよいと思います。
    このような考え方もあるのでは、という一つの案に過ぎないです。

    ただ、「幸せなんて、さがしたってないよ」、ということだけを伝えたい詩ではない、ということは直感で感じるのです。その印象は、ティーンエイジャーの頃から変わっていないです。

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  3. 横槍を入れるようで申し訳ありません。原詩:
    Über den Bergen, weit zu wandern,
    Sagen die Leute, wohnt das Glück.
    Ach, und ich ging im Schwarme der andern,
    kam mit verweinten Augen zurück.
    Über den Bergen, weit, weit drüben,
    Sagen die Leute, wohnt das Glück.
    は、英語訳(Google翻訳)すると、
    Over the mountains to wander far
    People say that happiness lives.
    Oh, and I went in the crowd of the others,
    came back with tearful eyes.
    Over the mountains, far, far over there
    People say that there is happiness.
    となります。私はドイツ語は苦手ですが、日本語よりはほぼ正確な訳になっていると思います。但し、das Glück は happiness ではちょっと軽い気がするし、das Glück は日本語では「幸運」か「幸福」か「幸せ」か「幸い」か難しいですね。im Schwarme は「群れを成して」でしょう。
     問題の Über den Bergen は、「山々を越えた先に」くらいの意味で、「彼方」では語感が遠すぎるので、上田敏は「あなた」を選んだのでしょう。だから、詩全体は「いくつもの山々(苦難?)を越えた先に「幸い」がある、と人々に言われ皆で一緒に探し求めたが、涙ながらに返ってきた。すると、幸いはもっともっと先にあるのだ、と言われた。」くらいの意味でしょう。ひょっとしたら、「さらにさらに苦難を乗り越えなければ幸いの境地には至らない、と人々に言われた。一体、いつまで努力を重ねなければならないのだろう。」というような意味かも知れません。これを「幸福は実は身近にある」と解釈する人がいますが、どうも原詩からはそう読み取れません。上田敏の訳は恐らくある種の妥協なので、微妙な疑問にはできる限り原典を参照することが必要と思います。失礼しました。

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    • すばらしい解釈、ありがとうございます。

      私の話は、全て遠い昔の私自身の記憶の中にある回想の話になっています。
      あくまで、こんな考え方もあるのでは、と思った、という話に過ぎないです。

      私は、上田敏はこのような遊び心を(勝手に)付け加えたのかな、と思っています。

      文章中のどこにも直接表現されていないからこそ、暗喩が成り立ちます。

      詩の中に隠れた暗喩を読み取った上田敏が、遊び心で、伝えようとした表現が「あなた」ではないのか、

      というのが、(電車の中で驚いた)私の読みです。

      今回のコメントは、原文の中に上田敏があえて「山のあなた」との訳を当てた真意がある、という立場の意見なのですね。

      私の考え方は正反対です。

      原文の中には答えがないので、「なぜ、山のあなたと訳したのだろう」、と(大学生の頃の私は)疑問に思いました。
      原文の中に答えが見えるのであれば、私は疑問に思うこともなく、スルーしたと思います。

      「あなたとの表現は読者を指す」との意図は原文にはなくカール・ブッセにその様な意図を求めるのは行き過ぎ、との解釈はそれはそれで正しいです。

      一方で、今回の論点はカール・ブッセの意図(原文)ではないです。
      上田敏が「あなた」との訳を当てた裏の真意があるとすればそれは何か、です。
      課題の把握が異なれば、論説の内容も異なります。

      たぶん、ここが決定的に違うと思います。

      ここでの論点は原文ではない、とさりげなく伝えるために独語軽視の前振りが私の文章の最初にあります。

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  4. ストレートに表現すると…

    1)「山の彼方(かなた)」を「山のあなた」と訳した理由は何だろう?音感を整えるため、と一応の納得はするけど、表面過ぎる解釈にどこか腑に落ちない(大学生の頃の私)

    2)「山の彼方(かなた)」を「あなた」と訳した理由は、音感を整えるだけの表面上の処理だけではないのでは?、と気がつく。上田敏は原作にはないフレーバーを独自に追加したのではないか。音感上も解釈上も遙かに広がりを持たせることができる(電車の中で驚いた私)

    …ということです。

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  5. 自分の解釈は、全く逆になりました。
    「幸せ」は、そんなに遠くに行かないと、見つからないのですか?
    実は、身近な今日の平和な生活の中にこそ、幸せを見つけて、感じることも大切なのではないですか」と。
    コロナの時代ではありますが、戦争もなく、自分のことに没頭出来る時代ならば、それは、素晴らしい「幸せ」な事なのではないか。
    ま、「幸せ感」は、それぞれの人の、状況、生活体験から来る人生観で全く異なるのが当然でしょうけれど。

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    • 私の解釈も同じです。ここでいう「あなた」とは、読者自身、つまり自分自身を指す、というのが私なりの解釈ですから。
      (場所ではなくて、自分自身の中に解答がある、という解釈です。今までの自分ではなく、未だ見ぬ自分と出会えたときに幸せが見つかります。)

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  6. 「山のあなたの空遠く、幸い住むと人の言う..」 この翻訳詩につけた美しい旋律の曲があって、私も昭和二十年代の後半、高校生の頃よく歌っていたのですが、周りの知人にこの曲に聴き覚えがないかと探していますが、そういう人がいません。youtubeなどネット上でも散々探したのですが見つけることができず、とても気になっています。 この曲について何か知っている人がいれば教えて下さい。

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